東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

加藤 廣太郎

加藤 廣太郎
東京都印刷協同組合
第一支部長 加藤 廣太郎様
明治29年4月2日生
所属 加藤製版印刷

税務対策の支部長

塚田支部長のもとで副会長として活躍してきた加藤様は支部長に就任して事務所は一つ橋二ノ九、加藤製販印刷所に移りました。
引き続き税務対策として、税務関係を組合で処理するため神田印刷業納税組合を創立したのですが、塚田様の後を引継ぎ税務署との強い掛け合いを行った。現在、消費税について国会与野党の論争が激しく展開しているが、当時も取引高税があり厄介なことだった。これも廃止となったが、例えば名刺印刷代100円とすると、1%上乗せし1円を徴収された。当初は証紙でおさめたのだが、昭和24年5月1日から現金で納付することになった。まったく面倒であった。戦時中には特別行為税のような悪税もあった。

標準価格表の作成

とにかく業者の利益を守るための対策として、活版、平版の能率基準表を検討したり、印刷業経営実績表を作成した。私も加藤支部長から命ぜられて、京都府印刷工業協同組合平版部で作った申し合わせ料金表を参考にして、標準価格表をまとめたのを記憶しています。また、開成印刷の谷本正様が大手企業の通し単価を紹介されたのは、大手の外注単価が一般の通し単価に影響を及ぼしたわけなのです。

横顔

加藤廣太郎様は、がっちりした偉丈夫で写真製版業(全国写真製版共同組合理事長)から平版印刷業を興し、仕事に熱心であったことは、常に爪先が累インクでつまっていたのでわかります。見習うべきです。常に研究心が旺盛で、石井写植機を設置したのが、大手以外では始めてだとのことです。また、神田三崎町の三崎神社前にある製版会館の創立者でもあります。
自動車の運転免許は早くから取得して、ダットサンを乗り回し、支部の仕事などは便利よく重宝がられました。趣味として魚釣、猟銃、登山、写真ですが、その上、大酒豪で女色は格別でしたよ、タオルを頭にのせながら酒をコップでぐいぐい飲んでる姿は懐かしいし、酔いつぶれるのを見たことがなく、ほんとうに強かったですね。酔えば宴席で豪快に舞う黒田節はお見事でした。美智子夫人は才色兼備で、蒋介石の夫人宋美齢と言われたくらい実権を握っていました。こわかったですネー

会館建設の提案

特筆としては、労働基準監督署中央協力会の会館建設寄付金の要請をうけ支部長として得意の運転で車を駆使したので募金が順調に完了し、その上、25万円の余剰金が出た。これによってかねてからの支部事務所建設計画が実って、会館を建てる動機が促進されたのです。従来とも事務所が支部長宅を転々とした不便さを解消する念願がかなったのです。
加藤廣太郎様が次の伊藤集支部長と共に建設委員長として、立派に千代田印刷会館建設(木造二階建)を果たしたわけです。