スポーツマンの支部長
前塚田支部長のときから、次期支部長の候補と注目されたり支部長に就任した。支部事業として三項目の指針を掲げー、労務問題二、生産の合理化三、通生価格の推進を重点に支部貞の協力を願った。
新入社負歓迎会
先ず従業員の福利厚生面の充実を図るため第一回の新入社員歓迎会を開催し、観光バスニ台で夕食のあと夜の東京見物、国際劇場、東京タなどを見て大好評を博した。”労務想談会 ”次に労働問題には特に熱心な研究をされ、労使の相互理解を力説されて昭和草9月晋、山岸鹿幹事長のもとに千代印刷印労務懇談会の発会式を挙げ研さんに努めた。労働攻勢の激しかった頃、労動組合対策に大へん苦労され、団体交渉対応された辛抱強さと度胸は立派でした。これは厳父の教えに基くものであり、信念を貫く努力家であったことです。
組合支部に早くから関心を持ったのは、ご尊父様の代理として組合に出席し、業界の諸先輩に接してあったので視野を広く、人間関係を大切にしておられた事は間違いありません。昭和23年八社合同による 大同印刷から分立して三美印刷の社長に就任した。
機顔
スポーツマンの山岡は私が支部長のときから 野野、卓球、水泳大会を催して、従業員の余暇を活用して下さった。趣味はゴルフはもちろん、小唄、詩吟などですが、十八番は白虎隊の姿で笛を吹き大刀を振る踊りですが、粋でお祭りが大好きな父上と茶遊びをしたお陰でしょう。
山岡様の事業欲と会社発展ぶは驚嘆の外はありませんが、志として先祖を敬いご両親に対する愛情は絶大です。喜寿と古希のお祝、何回かの法事を度々営まれ、ご観感と知人と共にご供養をされています。
私も参列させてきましたが、常に先祖のご恩を忘れず、現在の幸せを感謝するお気持ちはお身内ばかりでなく、私どもも有難く享受したわけです。祖先とのつながりの中に自分を見いだし、そしてそれをまた子につなげていくお心のあらわれだと思います。
残念なことは任期半ばで荒川区日暮里の新社屋に移転するため、支部長を辞任することになり、臨時総会を聞いて残存期間の翌年3月まで副支部長の山本四郎様に引受けていただきました。
山岡家の伝記については”追憶”をお読み下されば、慈愛のご両親はじめ温かいご家度を偲ぶことができます。