東京都印刷工業組合 千代田支部

MENU
千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

山本 四郎

山本 四郎
東京都印刷工業組合
千代田支部長 山本 四郎様
明治42年1月15日生
所属 東洋美術印刷(株)

短期支部長

山岡支部長の辞任により任期中まで支部長をつとめ、次期は正式に就任することになっていた山本様、昭和38年2月下旬、眼底出血により絶対安静のため退任のやむなきに至ったのです。支部の事業も新年度を迎え、盛んな意欲に燃えておったのに残念でした。
山本様は飯田橋の国鉄(JR)飯田橋駅と外濠の間(セントラルブラザ)の所で、東洋美術印刷所を昭和11年4月に開業された。当時、私も全判物の仕事をお願いに行きました。商売熱心な山本様はいつもニコニコ顔で愛想よく対応し、営業の平松様は外交上手でした。

横顔

麹町の山本様として早くから活躍し、加藤廣太郎支部長のとき幹事をつとめ、以後歴代支部長のもとで協力なブレーンとして重要な役目を果した。特に申し上げることは、支部の給食組合をっくったときの功労者で、山岸居様、塚田益男様のよき協力者でした。また、麹町税務署法人会副会長として活躍し、優良法人はもちろんのこと、税務署には絶対の信用があったわけです。こんな美談があります。

余談

山本様の述『株式会社になったというものの、当座は名前が変っただけのことで、今までと全く変らずの仕事をしていましたが、困った事は税金の申告でした。専任の経理担当者がいるわけでなく、それこそ 大福帳式でやっていました。それに仕事が軌道にのってきた頃でしたので毎日が忙しく帳簿ところではなかったのです。
そこで私は窮余の一策として、帳簿から伝票、領収書など一切の書類を風呂に包み税務署に行きました。そして率直に正直いって分からないので教えてほしいと頼みました。税務署の係の人は驚いた顔をして私を見つめていましたが、それから親切に教えてくれたのです。そして『あなたみたいな人は初めてです』と言われました。』
正直者に神宿るというものでしょうか。山本様の真面目の人柄がうかがわれます。
山本様のすばらしい人生と苦心物語は『おかげさまで五十年 山本四郎と東洋美術印刷』をご愛読ねがいます。