東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

梶原 忠幸

梶原 忠幸
東京都印刷工業組合
千代田支部長 梶原 忠幸様
大正11年5月15日生
所属 大文堂印刷(株)

支部史刊行の支部長

支部長に就任して最大の問題は、印刷会館借地権更新に関して2年間も交渉を重ね解決に苦心されたことです。

印刷会館、借地権更新

昭和40年12月14日地主の北岡政九郎氏から、一立退きの通知書を受けたのがはじまりで、地主側力からの申入れがあり、当方は鉄筋30年500万を提出したけれど承認を得られず物別れとなった。そのあと借地権更新が妥結されるまでは、伊藤集、新村長次郎、加藤廣太郎、吉川尭雄顧問皆様の硬軟両戦法によるお力を借りて、梶原支部長が大奮闘したのです。その頃よく言われたのは、伊藤集前顧問から『支部長 喧嘩をしてはいけない。誠意をもって交渉に当りなさいとの三音を肝に銘じたとのことです。
支部長としては、先輩諸氏が蓄財した財産をしっかり守る責任を強く感じていたわけです。新規更新料が決まってから、印刷会館建設に当たっては、顧問、相談役によって建設準備委員会が設けられ、資金の権利については市村元偉様、会館建設は橋本梅吉様が主に受け持ちました。地主との調停裁判を繰り返しながら有利にまとめたのは橋本様の大胆な手腕によるものです(両氏の活躍については後記)。
任期中に記念すべきは、昭和41年4月1日臨時総代会に於て顧問新村長次郎様が東印工組理事長に選出されたことです。中村正男は副理事長に選ばれました。4月23日熱海ニューフジヤホテルにおける支部総会には新村理事長、伊坂一夫、井上計副理事長が出席、また5月13日芝公園北京マンションで支部主催の新理事長を囲む会が間かれ、中村副理事長も出席すると共に、前副理事長山岸 厳様の労を謝した。

第二回物故者慰霊祭

10年ぶりに第2回千代田支部物故者慰霊祭が、上野寛永寺に於て行われ、140名が参列のもとハ十三霊位に対し感謝の意をこめて追車しました。

千代田支部史刊行

千代田支部史が昭和42年4月に完成しました。A5判370頁の豪華な本が刊行されたのだが、山岡、山本、下谷歴代支部長の念願が、梶原支部長によって見事に連成されました。昭和42年5月26日 新東京ホテルに於て、支部史・千代田の印刷出版刊行会が次の市村元健支部長によって行われた。この支部史を素にして新村重支部長のとき五十年史が発刊された。記縁がいかに大切か、資料は大事に保存すべきだと思います。『支部史 千代田の印刷』を再読いただければ詳細がよくわかります。

機顔

面長な梶原様、 慎重な話し方で几帳面でした。堅いようでも実席では白衣の軍人になりすまし、手足が不自由な始好をしてお恵みを乞う姿には拍手喝采でした。