東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

市村 道徳

市村 道徳
東京都印刷工業組合
千代田支部長 市村 道徳様
大正3年5月5日生
所属 (株)同美印刷

会館募金の支部長

支部長に就任してから、手始めに支部員が本部、支部の事業に対して、何を望んでいるかのアンケート をまとめました。102社から50項目の回答を得て、支部組織と伝達、会費、各種会合、厚生事業、関連事業の活動などの要望、批判の実態をつかんだわけです。
先ず23地区を班として23班を6地区に分け、地区長制をつくり支部事業の伝達を徹底したのです。

支部史刊行

昭和42年5月26日『支部史・千代田の印刷』出版記念会を新東京ホテルで開催、支部史は下谷修久支部長の資料収集から梶原忠幸支部長の製作で、編集は千代田印刷センターが担当し、市村支部長によって完成披露された立派な愛華本になったわけです。

会館募金

ここで特筆すべきは、市村様が千代田印刷会館建設資金の調連に才腕を振るわれたことです。顧問、相談役を招いて一晩の内に、予算額大半の寄付を納得済みで奉加帳に記す快挙は、市村様のお人柄と同時に顧問、相談役の理解ある団結の賜物と思います。この資金作りは後々の語り草です。募金の目標は組合員は組合費(本部・支部費) 15倍とし顧問相談役14社で38,300,000円 支部員34,537,500円、合計72,837,500円の申込があり、88.4%の協力が得られたのです。とにかく妄事業の突破口をつくった努力には敬服いたしました。

若手の育成

次に昭和43年10月24日主婦の友会館に於て、千代田印刷人新世会が発足した。これは印刷同友会の生みの親でもある市村支部長のご尽力によるところで、初代幹事長には八十島敏行様が選ばれた。神田同友会が昭和15年2月17日に井関子彦、島誠、市村道徳、西川英祐、今井三郎、増山登三治の六氏によってつくられ、幹事長に市村様が選ばれ発足したのです。当時、神田地区の印刷及関連業の二世が中心となって、お互いに研さん練磨して世の矛盾とも聞い、共助協力、自分たちの印刷業の地位を高めていきたいと希う純粋な集まりでした。戦時下印刷人練成講座を企画して、神田地域はもちろん東京全体に拡げ、業界紙などを通じて一般組合員に呼びかけ成功をおさめた。昭和18年9月神田同友会を印刷司友会に改組した。昭和33年9月には印刷同友会を中心として、全国青年印刷人緑友会が若い印刷人によって組織され、市村様が初代幹事長に推せんされた。この緑友会も昭和62年8月1日、赤坂プリンスホテルに於て、 創立三十年を迎える行事が盛大に行われるまでに発展成長し、その後も続いてます。

退任あいさつ

支部長退任に際し支部ニュースに書かれた名文を披露いたします。
駕籠に乗る人 かつぐ人 そのまた草履をつくる人
(前略)さてこのたび支部長を退任するにあたって、静かに頼みますとき、この二年という歳月はこれまでの何十年にもあたる重要な歴史的時間であったのにもかかわらず、初心の意気込みとは異なり、尽すことの少なかった事に恥しさとむなしさを々と感じるのであります。
『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、ひさしくとどまる事なし』この方丈記のはじめの文章は、いまの私の心に通じるものがありますが同時にこれに立ち向かおうとする意すも、心の底にあるというのが率直にいって今の私の心境です。(後略)文学書年として 望り加の感があります。
惜しくも昭和58年12月23日69才をもって逝去されましたが、支部門として将来ともご指導を願いたかったと傷みます。

横顔

明神下にもお馴染みな市村様、新村一座として朗々たる長唄をよく聴かせていただきました。昭和59年6月20日東京会館に於て、『市村道徳さんをにぶ会が世話人代表の新村重晴様によって行われました。世話人は同友会のメンバーで安達雄、小堀正三、沢田博保、白石豊高橋茂、 土井庄一郎、中畑行諸氏でした。