東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

塚田 十五郎

塚田 十五郎
東京都印刷協同組合
第一支部長 塚田 十五郎様
明治23年10月30日生
所属 塚田印刷所

混乱期の支部長

千代田区行政の改編により、麹町、神田が合併して東京都印刷協同組合第一支部となり、支部長には塚田十五郎様が就任されました。事務所は神田神保町三丁目塚田印刷所内に置かれた。
厳しい電力制限の下で、資材の不足、闇市の売買に追われたが、塚田支部長は親分肌で、消失した業者の仲間を会社に抱え込む侠気があり、特に村税関係には税務署に睨みを利かせた大人物でした。
当時は敗戦の酬いで、復興の芽を摘んだぶつかけ課税ですから、業者の指数の割当を要求され泣かされたわけです。税務署員が約束に反して個別調査をしたので、支部長はその不当を断固として抗議をしたのは有名な話です。
益男さん(錦明印刷)曰く、『言い出したら、右も左も言うことを聞かないから、手も足も出ないですね、親父はダルマっていう仇名がありましたよ。』

初の共同受注

共同受注の走りとして、塚田様が主婦の友社から平版印刷の仕事をもらい、それを数社に割り振りされました。当時の用紙は仙花紙ですから、刷り上がりが異なって検品には一苦労したものです。
当然各社の刷り物が、版の焼き加減、紙の伸縮、刷色の濃淡、見当の狂いがあって揃わず、使い物になるかと心配したのですが、なんとか納めてくださった塚田様の度量と手腕には感服しました。

横顔

塚田十五郎様の印象は愛酒家で包容力があり、白い眼をむき出して天上を見上げる姿は偉大で、税務署員も圧倒されたわけです。何分にも副支部長には、伊藤集様、加藤廣太郎様の両酒豪がおれば、神田明神下も大いに賑わったことでしょう。酒なくて何の寄合いか、会合が終わると酒、酒、おきまりは明神下へ繰り込む、苦しい中にも楽しい時代でした。紅灯の巷の珍談については、文唱堂印刷橋本梅吉様におききください。
何年前でしたか、平塚海岸の筆立てがあったとき、同行者の皆様に色紙の寄せ書きをしてもらい、私がご宅(二階座敷)の病床でお届けに参上したことを覚えています。

当時の強者

神田の業者として猛者連は、塚田十五郎、綾部喜久治、出雲宝太郎、酒井作次郎、細谷祐三、青田伊祐、風間戌敵、朝比奈慶治、柴田孝吉の先輩諸氏でした。