東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

伊藤 集

伊藤 集
東京都印刷協同組合
第一支部長 伊藤 集様
明治25年8月5日生
所属 集美堂印刷所

技術開発の支部長

支部長に就任して、前支部長加藤様の懸案である会館建設に拍車をかけて実現に邁進されました。支部事務所は神田錦町二ノ五に置かれた。現在の会館以前の建物は、木造一階の平家建(25坪)で門構えも中庭があり、持主は共立出版の南条氏であった。懇意であった加藤文明社加藤保様の口添えで譲り受けた。大通りの角である絶好の場所ですから今日に於ては破格の評価額です。

千代田印刷会館

その後増築して総二階の50坪となった。この千代田印刷会館を拠点として、印刷工業技能者養成所が設立され、現在の社団法人日本印刷接術協会に進展したのです。全国初の共同養成の施設であり、千代田印刷工業技能者養成所の設立に伴って、伊藤様が運営委員長に就任されました。
また、東京都印刷工業健康保険組合も設立され、現在の全国印刷工業健康保険組合に発展したのですから、正に偉大な発祥の地であります。

平版会、活版会の設立

昭和23年6月第一回神田平版会は、伊藤様、新村長次郎様の肝入りで開かれた。当会は単なる懇親の集りではなく、平版印刷料金の検討、資材(油、亜鉛板)の実際価格を比較する研究をしたのです。その後千代田平版会として共同受注、資材購入、技術開発、施設見学、研修会など、共同利益のため積極的な事業を進め大きな成果を挙げることができました。また、親睦と研修を兼ねた春秋二回の旅行を輪番幹事によって行われ、修行中の私などは平版会の旅行には必ず出席し、先輩諸氏の談論風発を部屋の片隅で慎重に拝聴していた。
金儲けの話、女の話、酒の話、苦労話、将来への展望など、経験と実行力に富んだ有益なお話は、他に修行せぬ私にとって大きな教訓となった次第です。

米軍印刷工場見学

昭和24年8月、工場長であった市岡岱氏(光画房)の紹介によって、日吉の米極東軍印刷工場を見学し印刷自動化の進歩には驚いた。これは一例ですが、千代田平版会の運営は年々活発に継続された。当会の代表としては伊藤集様、新村長次郎様そして私(中村正男)がつとめた。

活版会

活版会も昭和35年2月16日に発足依依頼、代表として杉田弥太郎様、新村長次郎様、山岸嵐様の三氏がつとめ、平版会と同様に経営、技術の研修会を行った。一例として日の出会(モノタイプ自動鋳造機の購買会)を設立した。後に平版会との共同事業を行い利潤をもたらした。

印刷・製版技術の促進

伊藤様が技術開発を推進した業界の指導者として、多大に貢献された実績は感謝に尽きます。製版の転写版(チャイナ―紙)から卵白直焼版、平凹版へ移行するため、関西からアール印刷の長谷川朝造氏、新日本精版の野村廣太郎氏を招いて、水道橋の都立工芸学校に於て、各社の製版工にジンク版を持参させて実習を行い転写から直焼への転換を推奨したのです。
また適性料金を維持するために能率と省力化を考え、手差機にフィダーを取付けて半自動化する長谷川式簡易給紙機装置を研究し開発した。長谷川正夫氏はMH式自動給紙機の発明者で、凸版印刷工場長を務めた人ですが、平版会で中野の製作所へ見学に伺ったことがあります。
伊藤様は第一号として、給紙機を浜田精機の菊全判手差二色機に取付け、平版業者に披露し注目を浴びた。支部でも弊社は第二号として設置し能率を挙げることができた。先輩のおかげです。長谷川正夫氏についての人柄と発展家として興味ある話は、開成印刷の谷本正様にお聞き願います。

横顔

伊藤様は集さんが本名だが、親しみ易く集さんと呼ばれていた。煙草を口にくわえながら手拭を腰に下げ、日曜画家よろしく支部(木造建)会館の屋上で油絵を描いておられた。東京行動展に入選した腕前です。
一見、茫々とした人物だが、穏やかな語り口で人を引きつける魅力があり、九州男児(大分出身)として不屈の魂の持主でした。
伊藤様は控え目のタイプながら酒豪で、酒ばかりでなく、ウイスキーをストレートで飲み、後にも先にも酔態を見たことがなかった。酒席では謡曲や小唄を聴かせてくださった。これは内緒の話ですが、押し入れの中から一升瓶を取り出して、コップ酒をあおったというから面白い。料亭より赤のれんの飲み屋が好きでしたね。新村夫人も伊藤様を兄貴分として一目おきました。
私は伊藤様を校長さんとお呼びし、私達は代用教員でした。或る日、伊藤様、坂口省三様、稲垣公居様、私と四人で神田駅近くの三川屋へ酒を飲みに行ったとき、店を出てから校長さんが通りの並木に立小便を始めたので、われわれも右にならえで一斉に放水した。すぐ近くには交番があるのに、これは驚き入ったふるまいでした。

民生児童委員の五名

当時、千代田区民生児童委員として、伊藤集様、坂口省三様、稲垣公嵐様、橋本梅吉様、中村正男の5名が選任されておりましたが業界でも珍しいことだと思います。
東京都民性児童委員が厚生大臣から都知事、区長を通じて委嘱されるのです。