東京都印刷工業組合 千代田支部

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千代田支部について ABOUT CHIYODA BRANCH

新村 重晴

新村 重晴
東京都印刷工業組合
千代田支部長 新村 重晴様
大正13年7月4日生
所属 新村印刷(株)

嘱望の支部長

将来を嘱望されているムコ殿新村重晴様が、強い団結、千代田の伝統というスローガンを掲げて就任したのが昭和49年4月13日定時総会ですが、7月11日まで参議院選挙の後仕末があったので、伊藤哲治支部長が変則的につとめました。

組合本部の人事刷新

昭和49年8月16日選挙による組合行政の混乱を早く解決するため、千代田支部有志によって要望書を東京都印刷工業組合伊坂一夫理事長に提出しました。
その骨子は、
1. 理事は全員辞任し9月早々臨時総代会を招集して、新理事を選出すること(再選妨げず)。
2、理事長は新理事会で互選ぶすること。
3.総代会開催不能の時は理事会において退任理事の補充をなし、後任理事によって支部長の意見を聴き、時間をかけて民主的に十分検討して理事長を選出すること。
4、いずれの場合も井上選対の重要任務にあった人は避けること。
5、新体制執行部は速やかに事後処理に協力すること。
6、新体制は暫定とし全理事は昭和50年3月末日まで任期とする。千代田支部有志、山岸居、白井倉之助、中村正男、塚田益男、下谷修久、梶原忠幸、市村道徳、橋本梅吾、以上8名連署
千代田支部の献策に基いて他支部の動向も烈しくなり、9月10日の第7回理事会に於て本部役員が改選された。

新村長次郎様謝恩会

昭和49年12月9日支部主催により、新村長次郎様の慰労と感謝の会が52名出席して明神下花家で開かれた。高齢でありながら全印工連会長、東印工組理事長を8年余に亘る尽力は、後世に残る歴史の偉大な一頁を飾るふさわしい所業とたたえ、女房役の伊坂妄様の功にも謝した。

支部費値上げせず

昭和50年4月11日支部総会において『本部の試課金が7月から値上げとなり、本来なら支部費の値上げをする事になるのだが、千代田印刷会館から間接的な協力七よって、支部費の値上げをせず、苦しい中でも地区懇談会を中心として勉強など着実に活動したい』と新村支部長から力強くあいさつがありました。 ここで先人の言葉を思い出しました『将来、支部費なんか取らないで会館収入でやろうじゃないか…』 支部運営にとって、支部直で建設した千代田印刷会館の存在がいかに大きいかがよく認識されるところです。

支部50周年記念

昭和51年3月1日グランドバレスに於て、千代田支部創立50周年記念式典が300名の参加を得て盛大に行われた。席上で新村支部長から歴代支部長(現存)14名に感謝状が贈られた。毎々のことながら千修ブラスパンドが賑やかに花を添えて演奏して下さった。50周年記念式典と共に案事業は50年史の発行です。40年史のあと10年間の出来事を加筆編集したのですが、歴代支部長の座談会、構改グループ、支部関連団体の歩みを補筆した五七六頁の豪華本で輝しい貴重な資料となりました。40年史と同じく千代田印刷センターがまとめましたが、今後も何周年を期して刊行して貫いたいものです。

観子二代全印工連会長

新村様は常に高ぶることなく、どなたに対しても丁寧な応対は感じがよく、全国の信頼が厚いことでもよく解ります。心から敬意を表します。偉大な新村長次郎様の栄光の陰で、脇役として下積みのご苦労をなさったが、支部長を経て、晴れて全印工連会長、東印工組理事長に推せんされ、規子二代という業界史に残る栄誉となりました。

機顔

義父長次郎様の厳しい教訓は、営業面においても現在の受注に頼らず、自分の力で新規発注先を開拓せよとの申渡しを受けた事です。これに圧せず必死で奮闘して白己能力を発揮し目的を果したといいます また、私は度々新村会長様の外車に陪乗させていただきましたが、重晴様は社長を継承してからも国産車を愛用しています。もう一つ、長次郎様いわく『狭山工場建設は私に相談なく、重晴がどんどん進めたのですよ』と、満面が隠し切れぬ喜びに溢れていました。